活動の報告

一滴のしずくがやがて大河になる。2022年度拡大県連理事会研修in広島【23.3.15】

広島市「おりづるタワー」研修室での研修風景(3/13)

2023年3月13日~14日(月・火)、拡大理事会研修で広島県を訪問しました。
全岐阜県生協連では、役員の啓発活動として、毎年理事会で視察研修を行っています。近年では、2017年に熊本県、2018年に静岡県、2019年は北海道を訪問し、防災・災害支援をテーマに学習してきました。新型コロナの影響で3年間実施できませんでしたので、今回は満を持して広島県生協連を11名で訪問しました。

進行は、広島県連の福島事務局長にお願いしました。

●主な学習プログラム
①平和学習①「核兵器を取り巻く世界情勢」
 …広島平和文化センター 荒瀬尚美常務理事より
②平和学習②「被爆の証言」
 …広島県原爆被害者団体協議会 山田寿美子副理事長より
③西日本豪雨災害対応と復興支援の取り組み学習
 …広島県危機管理課 立川主査、広島市社会福祉協議会
  三村事務局長、広島県生協連 福島事務局長より
④平和記念公演 碑めぐり
 …生協ひろしま碑めぐりガイドの会 新谷美樹子代表

●平和に活動にかける広島県生協連の思いを岡村会長からお聞きしました。

岡村会長の歓迎ご挨拶

JR広島駅から市電に乗り、正午近くに平和記念公園に隣接する「おりづるタワー」に到着。岡村信秀会長を始めとして広島県連の皆さまに温かくお迎えいただきました。「むさし」のおむすび弁当をいただき、10階研修室のデッキから見える建造物(原爆ドーム、グリーンアリーナ、市民球場跡地、建設中のサッカースタジアムなど)について説明していただきました。広島県275万人のうち118万人が集中する広島市の市街地には、平日の日中にもかかわらず様々な年代や国籍の人が多く賑わい活気を感じました。新しいビルや建築物も多くどれも輝いて見えました。到着早々ですが都市の勢いを感じました。

開会してまず最初に、岡村会長から歓迎のご挨拶を兼ねて広島県連の平和活動の歴史や思いをお話しいただきました。

  • ロシアの核兵器による脅かしは、“核抑止は通常兵器による戦争を容易にし安全保障に役立たない”(核ジレンマ)を実証した。
  • ウクライナ戦争を機に国際社会は「抑止力」を根拠に、軍事増強と軍事的安全保障の枠組みに変わろうとしている。今私たちは大きな岐路に立たされている。
  • 世界のリーダーには、これまでの「国家の軍事的保証」から脱却し人道的立場に立った「人類全体の安全保障」にもとづく平和外交アプローチへの転換が求められる。
  • 日本政府は、唯一の戦争被爆国という“特別な国”であることを自覚し、「橋渡し」を推し進めるべきである。先の大戦の反省から「専守防衛」を国民や国際社会に約束したことも忘れてはならない。
  • 為政者の役割と責任は大きい。私たちが戦後一貫して取り組んできた活動が自国や国際社会のリーダーを動かすエネルギーを持つと確信する。一滴のしずくがやがて大河のごとく大きく成長する。

そして、今年8月のピースアクションには、ぜひ多くの人に広島に来てほしいと呼びかけられました。

●核兵器のない平和な世界の実現へ向けて、被爆地である広島の役割とは。

大坪会長理事の挨拶

大坪会長の挨拶に続き、(公財)広島平和文化センター常務理事の荒瀬尚美さんからお話を聴きました。広島市の平和に関する歩みの中では、日本国憲法第95条による日本初の特別法として1949年に公布・施行された「広島平和記念都市建設法」のお話が印象的でした。被爆の惨状の中から、平和都市をこの広島につくりあげることを国・県・市行政の目標として市民とともに推進してきた歴史に、広島市がここまで復興できた理由を感じることができました。



広島平和文化センターの荒瀬常務

広島市の平和施策の中では、「平和文化の振興」が印象に残りました。市民社会に核兵器廃絶を目指す総意を形成するためには、芸術文化活動やスポーツなど言葉や文化の違いを越えた感情の交流が日々の生活に溶け込み、そうした中で平和を願うことが市民社会の総意となり、為政者の政策転換を後押しする。そのために、広島では平和への思いを共有できる取り組みに力を注いでいることがわかりました。



●被爆者としての苦しみは、今でも自分の中に根付いている。

山田寿美子さんの「被爆の証言」

続く平和学習②では、広島県被団協副理事長の山田寿美子さんから「被爆の証言」のお話を聴きました。山田さんは2歳の時に広島市内で被爆して原爆孤児となり、その後は被爆者としてとても辛く苦しい思いをしながら生きてこられました。親戚宅を転々としながら謂れのない差別や居場所のない寂しさに苛まれた日々のこと、作家の山口勇子さんや精神親として支えてくれた女性への感謝の気持ちから福祉系の大学に進み、その後広島市に帰り病院で医療ソーシャルワーカーとして数多くの被爆者の生活に寄り添ってこられたこと等を話していただきました。36年勤め退職後に設立された居宅介護支援事業所は今月末で閉鎖される予定とのことで、利用者の中に多くみえた被爆者も今は減って1名だけになってしまわれたと少し寂しそうに語られました。また、最近では社会保障の脆弱さや貧困のひろがり等により被爆者援護制度を妬む声もあることに心を痛められているそうです。それでも、「核兵器の残酷さ、恐ろしさをもっと知らせていかなければならない」との思いは強く変わらないとのことで、今後も被爆者運動を続けていくと力強く話されました。

●3度の自然災害の経験を生かし、地域が連携して災害支援の体制づくりが進められています。

広島県危機管理課の立川主査

広島市は、平成26年、平成30年、令和3年と3度にわたる大雨による自然災害を経験しました。山が多い地形で雨に弱い花崗岩の地層は、特に平成30年7月の西日本豪雨災害時には過去50年間で最大の人的被害状況となりました。広島県危機管理課の立川主査からは、当時の気象、県内の被災状況、県の初動対応、緊急物流物資支援における課題、令和4年5月時点での復旧状況等が報告されました。「広域」「県内」「市町村」ごとの物資の調達・配送計画の関連図が参考になりました。



広島市社協の三村事務局長

広島市社協の三村事務局長からは、災害ボランティアセンターの機能、役割、なぜ全国からボランティアが集まるのか、なぜ社協が災害ボランティアセンターを開設するのかについて話していただきました。被災者の命を救うことや生活の復興を支援するためには被災者と支援者をつなぐことが必要ですが、ボランティアを受け入れるためには様々な課題があり容易ではありません。ふだんから地域との顔の見える関係をつくっていくことが重要だと話されました。また、3度の災害はいずれも生協と連携して対応してきており、広島県の災害支援体制の中で生協がかけがえのない存在であることがよくわかりました。

広島県連の福島事務局長

広島県生協連の福島事務局長からは、主に西日本豪雨災害の対応について報告いただきました。県の災害対策本部に10日間詰めて物的支援対応を行ったこと、県連の医療生協(3生協ある)から災害ボランティアセンターに看護師さんを派遣したこと、店舗での健康チェック、移動販売車での被災地訪問その他の取り組みが印象に残りました。岐阜県においても南海トラフ地震など大規模自然災害のリスクが高まり続けており、「防災・減災」とともに「災害支援」の対応力をつけていくことの必要性を改めて感じました。

●声なき“碑”の思いを語り継いで

碑めぐりガイドをお願いした新谷美樹子さん

研修2日目は、「生協ひろしま碑めぐりガイドの会」代表の新谷美樹子さんを講師に、平和記念公園の碑めぐりと広島平和記念資料館(原爆資料館)見学を行いました。1979年の原水禁世界大会開催を機に生協独自の平和集会や平和行進がスタートしました。当時の広島の生協の組合員さんが中心となり、平和の取り組みを集会の他にもひろげていくことを目指し、自分たちが学習して母と子の「碑めぐり」を始めたのが同会のルーツだそうです。新谷さんも生協ひろしまの理事を経て碑めぐりガイドとして現在も活動してみえます。



平和記念公園から対岸の原爆ドームの説明

広島県生協連のあるビルを出発して、まず本川小学校平和資料館に、続いて平和記念公園に移動して「原爆ドーム」「原爆供養塔」「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」「平和の観音像・中島本町原爆死没者芳名碑」「原爆の子の像」「平和の灯」「広島平和都市記念碑」「レストハウス」などを巡り、新谷さんからクイズも交えて丁寧に説明していただきました。

本川小学校平和資料館の視察風景

「原爆供養塔」には7万人もの遺骨が納められており、まだ814人もの方の身元が判明していないそうです。「平和の灯」は世界から核兵器が無くなるまでひと時も消えることなく燃え続けるのだちお聞きし、1日も早く灯を安心して消せる日が来ることを心に願いました。

(左)原爆供養塔      (中)韓国人原爆犠牲者慰霊碑      (右)平和の観音像

およそ1時間半の碑めぐりでしたが、重い資料ファイルを抱え私たちのために熱心に案内してくださった新谷さんに感謝いたします。同会はまもなく設立35周年だそうです。新谷さんにお聞きしたところ、碑めぐりガイドの方は現在20名みえるそうですが高齢の方が多いこと、また県外の方も多いそうです。被爆体験の「継承」が世界的な課題となっています。新谷さんたちに長くお元気に活動していただき後継者を育てていただきたいと思いました。

(左)原爆の子の像         (中)平和の灯         (右)広島平和都市記念碑
平和記念資料館の前で

その後は、広島平和記念資料館(原爆資料館)を見学しました。平日にもかかわらず館内はかなりの混み様で、外国の方も多く来場し貴重な展示物に見入っていました。近年リニューアルされた同館に入ったのは初めてで、被爆当時の凄惨な広島の街の様子や、その後の原爆症の闘病生活のこと、家庭が崩壊していく有り様、家族を失った方の悲しみ、偏見や差別に苦しみながら被爆者として生きた方の苦悩の様子など、言葉にできないほどの衝撃を受けました。辛いけれども実際に日本で起きた現実として私たちは記憶し続け、核兵器のない平和の世界の実現のために行動し続けなければならないと心に刻みました。

内藤副会長の閉会挨拶

最後に広島県生協連に戻り若干の意見交流を行い、最後に内藤副会長理事からお礼の閉会挨拶があり今回の研修を終了しました。2020年に企画して以降、毎年計画しては延期を繰り返してきたもかかわらず、このように迎え入れていただいた広島県生協連の皆さま、関者の皆様に心からお礼申し上げます。やっと念願叶って学んだことを岐阜県での取り組みに生かしていきたいと思います。

■今回の参加者 ※敬称略

全岐阜県生協連     会長理事  大坪 光樹
全岐阜県生協連     副会長理事 内藤 浩
岐阜県学校生協     専務理事  片桐 学
岐阜労済生協      専務理事  森田 幸治
コープぎふ       専務理事  根崎 周一
西濃医療生協      理事長   木村 隆之
西濃医療生協      専務理事  中村 英洋
西濃医療生協      常務理事  松岡 和彦
アイチョイス岐阜    専務理事  子安 貞継
全岐阜県生協連     専務理事  佐藤 圭三
東海労働金庫     各務原支店長  板屋 高

広島県生協連      代表理事会長   岡村 信秀
広島県生協連      代表理事副会長  横山弘成
広島県生協連      代表理事副会長  難波 隆宏
広島県生協連      事務局長     福島 守